不思議な話(二ーマンのピク詰め)復刻版H

      ー実際に体験した不思議な出来事の記録ですー

394 「欠落」

時々、人と話をしている時に何かの拍子に意味のわからない単語や事柄に出くわす事があります。それは最近の話題とか目新しい流行語とかではなく、どうも誰もが普通に知っている当たり前の事柄のようなのです。

なぜそのような事が起こるのかを自分なりに考えてみたのですが、多分間違いないであろうと思う答えにたどり着きました。おそらく学校の授業、それは小学校か中学か高校かはわかりませんが、学校を休んでしまった時に授業で習うはずのものだったのではないでしょうか。

                     欠落-s

その習っていなかった事柄にタマタマ係わることがないまま今まで生活して来てしまい、ここに来て生まれて初めてその事柄に出くわしたのではないかと思うのです。自分の場合、そんな時には得意な演技でごまかしながら当然知っているような顔をしてその意味を会話の中から探し出す事が出来るのですが、他の人がそのような状況にあると知った時にはここぞとばかりに楽しませてもらいます。

この間もある男性と並んで歩いている時に突然の夕立に見舞われ、その男性が言います。

「わっ、夕立だ。チョットそこで雨乞いしましょうよ」

建物の軒先に並んで張り付きながら私は空を見上げながら言います。

「雨乞いの必要はないと思いますよ。これだけ降れば十分でしょう」

「はい?」

彼は素っとん狂な顔で私を見ます。『雨宿り』という事柄が抜け落ちた彼に対しての私のイヤラシイ攻撃は夕立が上がるまでジワジワと続くのでした。

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391 「0」

あのRさんが若い頃に体験した不思議な話です。20代のRさんが若さに任せて九州圏内を無銭旅行するのですが、ある時、宮崎県辺りの山に登ってみたそうです。登ったと言うよりも迷い込んだと言った方が正しいのですが、昼過ぎに山に入って夕方になっても山を降りる事が出来なかったそうです。

俗に言う遭難です。季節も2月の一番寒い時期でそのうち雪も降りだします。夜中の2時頃まで真っ暗な山の中を歩き回るのですが一向に山から出る事は出来ません。体力も限界に達し「自分はここで凍死するかも知れない」と思い始めた頃に少し開けた場所に出ます。

それは細い林道らしく、とりあえず麓であろうと思われる方向に歩くのですがそのうち寒さと疲労で意識が遠くなってきます。もう限界だと思っている所に何と奇跡的に道の真ん中に止まっている自動車を見つけたというのです。

               0-s

それは林道には不釣り合いな大きさの白い自動車だというのは暗闇の中でもわかったそうです。その時のRさんにはそんなことはどうでも良いことで、車の中に人が居ようが居まいがそんなことも関係なく鍵のかかっていない車の後部座席ドアから勝手に車内に入り後ろのシートで寝たそうです。

夜明けを待って麓の町に戻る事が出来、命拾いをするのですが結局その外車の所有者は朝になっても現れなかったそうです。とりあえず後で礼をするためにナンバーを控えるのですが、そのナンバーは『00‐00』だったと言います。

普通、車のナンバーが『0』からは始まることなどないと思うのですが…

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390 「洗濯機」

信じられないかも知れませんが私が子供の頃には洗濯機はありませんでした。幅が30センチ位で長さが70センチ位の表面にギザギザの凹凸のある木の「板」で洗濯していました。

洗濯機が我が家に導入されるまでの数年間は洗濯板が常識だったのですが、洗濯機の圧倒的なテクノロジーの前にあっという間に姿を消します。驚いたのは洗濯機の進化の早さで、半年もしないうちに2つのローラーで洗濯物を挟み込み、「絞る」という画期的な装置が組み込まれます。

                   洗濯機-s

当時は高速で洗濯層を回転させ水分を飛ばすなどと言った発想はありませんでしたので、おとな達はこのローラーを手動で回転させ絞るという夢のような機能を絶賛しました。

子供達はと言うと左からローラーに入った洗濯物が右側から出てくる時にはスルメの様に一枚の板みたいになって出てくるのが嬉しくて母親がローラーを回転させるのを洗濯機の横ワクワクしながらで待っている。そんな時代でした。

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389 「テレビ」

自分が子供の頃に常識だと信じていた事は一体何だったのだろうと思う事が多々あります。たとえばテレビの画面には常に布がかかっていて、テレビを見る時はその布をうやうやしくまくりあげ正座までは行かないまでも姿勢を正してテレビを見るというのがあたりまえでした。

その布は結構立派な刺繍がされていて、テレビ画面の寸法にピッタリ合っていたところを見るとおそらくそれ専用に販売されていたものだと思います。

                  テレビ-s

その内テレビ画面の表面に薄っぺらなプラスティックかアクリル製のレンズの様な物が取り付けられ、ひとクラス上の画面サイズを堪能できることに感動していると、ある日突然白黒の画面がカラーになるという新商品が現れます。

基本的にはアクリルのレンズと変わらないのですが何と表面が虹色に色分けされており、白黒の画面は突如として総天然色になるのです。勿論画面の物の色が反映されている訳ではないのでたまたまそれに近かったりした時に「ほら、今の所、本物みたいな色だったね」と家族で盛り上がる程度のものなのですがそれでもその当時、誰一人としてその状況に疑問を感じる者はいなかったのです。

…良い時代でした。

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388 「見え方」

若い頃の話です。自分の見ている色は他の人が見ている色と同じなのだろうかという疑問が湧き、友人に頼んである風景をほぼ同じ位置から感情を無視して目に見えるそのままの色彩を忠実に再現するという条件で絵を描いてみたことがあるのですが、その方法では思ったような結果が得られないということで画集の印刷された絵画を模写することになります。

結局、対象に違った色を見ていたとしてもその色を再現する為にチョイスした絵具もその色に見えているので、おそらくお互いに違う色を見ていたとしてもそれを証明できないという結論に至るのですが、本当の問題はそこではありませんでした。

                  見え方-s

最初に描いた2枚の風景画は近所の河原を描いた油絵なのですが彼の絵の中に人物が1人描かれていたのです。制作中はお互いにそれぞれの作品は意識して見ないようにしていましたから途中で気づく事がなかったのですが、彼は女の人が川の側に立っていたと言うのです。

制作時間は2時間程でしたが私が2時間も同じ所にジッとしている人を見逃すわけがありません。河原には誰もいなかったのです。色がどうだのこうだの言う前に、そもそも見えている物が違っていたのです。

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387 「学生帽」

 

尊敬するRさんが中学生の頃の話です。当時R少年の家は燃料店を経営していて、R少年は学校から帰ると進んで配達の手伝いをするとても良い子だったそうです。配達の際には学生帽を被るのがR少年のポリシーで、お客さんにも好感が持たれ「きちんとした良い少年だ」と評判も良かったそうです。

そんなR少年は好奇心も旺盛で、ある日、新商品を開発するという名目でお店の商品の灯油やガソリンを混合して色んな実験をするのですが誤って大爆発を引き起こします。幸い店舗や商品には影響はなかったのですが、R少年は顔面に火傷を負ってしまい治療のために顔面全体と両手に包帯を巻かれます。

                学生帽-s

目と口の部分は細く隙間を開けてもらっていたそうですが首から上は包帯でグルグル巻きの状態で、それは当時テレビでやっていた「透明人間」のそれとほぼ同じだったといいます。その状態でも配達は休まなかったそうです。

R少年はその包帯の上からトレードマークの学生帽を被って配達をするのですが、行く所行く所でビックリされたそうです。中には悲鳴を上げながら逃げまどう主婦もいたといいます。

私が思うに学生帽が不気味さに拍車をかけてしまっていたのではなかろうかと思うのですが、そんな状態でありながら学生帽を被らなければならないと思ったR少年の心のあり方が私は大好きなのです。

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386 「毛虫」

数年前Tさんからこんな話を聞きました。Tさんの家の前には大きな道路があり、その道路を挟んだ向かいの家の庭に何本かの木が植わっているそうです。その中の1本の木に毎年春になると大量の毛虫が発生するそうなのですが、何故かその木以外の木に毛虫が発生することはないそうです。

その毛虫は道路を渡ってこちら側に移動することはなく、横断するにも交通量からして横断は物理的に無理らしいので毛虫嫌いのTさんは安心していたのですが、その年に限って何故か毎朝Kさんの家の玄関に毛虫が一匹だけいるのだそうです。

                     毛虫-s

鍵のかかった自家用車の車内にいたこともあったそうです。勿論Kさんの庭には毛虫はいませんし、誰かのイタズラでもなさそうだと言います。私は「鳥かなんかがくわえてきたのでしょう」と適当に話をはぐらかしましたが、その時私はテレポートするナメクジの話を思い出していました。

もしかすると虫は私達が考えも及ばない特殊な能力を持っているのかも知れません。

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