168 「Kさん」
今まで出会った人の中でKさんほど不思議な人はいませんでした。Kさんと言ってもあのKさんではなく、あっちのKさんです。
Kさんは『ヤジリ』を探すのがとても得意で、おそらくそれをライフワークにしていたと思います。その膨大なヤジリのコレクションはKさんが亡くなられた後、市の歴史資料館に展示されるほどでした。
外見も少し前屈みの姿勢と伸ばし放題の髪やヒゲも相まって現代人よりは石器人に近かったように思います。生涯独身を通し、あまり人との接触も臨まず、何度か家を訪ねましたが家の中には一度も入れてもらえませんでした。年齢は私より随分上だったように思いますがその身のこなしは20代のそれで、純粋すぎるほど真面目な性格は現代を生き抜いていく上でさぞかし重荷であった事と思います。
そのKさんが一度だけ私をヤジリ探しに連れて行ってくれたことがあります。山の中の沢に辿って歩くのですが、彼には私には見えないものが見えていたようでした。彼は確かに見えない獲物を追っていて、彼の手には見えない弓矢がシッカリ握られており、沢の行き止まりに追い詰めた獲物を見えない矢で仕留めたのです。
彼が仕留めた獲物の倒れた場所には何と本物のヤジリが落ちていました。私がそのヤジリを拾い上げようとしたその時です。
「あぶな~い!」という叫び声と同時にすごい勢いで突き飛ばされたのです。Kさんは肩で息をしながら尻餅をついたままの私にこう言います。
「ヤジリには毒が塗られているものがある。不用意に触ると傷口から毒が入り…命を落とす」
下方向から見上げる逆光で黒い影だけのKさんの背後には深い森の緑がキラキラ輝いており、もしかしたら石器時代にタイムスリップしてしまったのではなかろうかと錯覚するほどにリアルな瞬間でした。
おそらくKさんに見えていたのはそれだけではなく、現代人には見えなくなくなってしまった何か大切なものが見えていたのかも知れません。
コオロギのアトリエ