145 「ポケット」
東京時代にはありとあらゆるアルバイトを経験させていただいたのですが、その中に『引越しセンター』というのがあります。その日の引越しのパターンによってそれぞれにシフトを組まれるのですが、その日は女子大生の引越しということで先輩と2人で現場に向かいます。
比較的楽な作業で午前中にはトラックに全ての荷物を積み終わり、その女子大生も一緒にトラックに乗ってもらい引越し先に向かいます。先輩が運転して隣が女子大生でその隣が私です。
その道すがらジャンパーのポケットの中の小さな板状の物が気になってしまい指先の感触だけでそれが何かを観察していました。素材はプラスティックか金属なのですがそれが何かを特定できません。
気になってしょうがないものですからかなり強く握ってみたり、爪の間に差し込んでみたりしていたのですが何故か湿っているのです。と言うより濡れているのです。
何だろうと思いそれをポケットから取り出してみると手が真っ赤に染まっています。指先かパックリ裂けて血が出ているのです。女子大生がそれを見て悲鳴を上げ、その悲鳴に驚いて先輩も悲鳴を上げます。私は私で驚いていますからトラックの中はしばらく大騒ぎでした。
それはカッターの刃でした。先の方を『ぺキッ』と折って使うあれです。その折れた刃をポケットの中に入れておいたのを忘れていたのです。不思議なことにポケットから手を出すまでは全く痛みを感じなかったのです。
結局後半の仕事は私が使い物になりませんから先輩が一人で泣きながら重たい家具を運んでいました。
コオロギのアトリエ