124 「リヤカーその2」
リヤカーで思い出しましたが、中学生になったばかりの頃に何か部活をということでとりあえず柔道部に入りました。予想していた以上のハードな練習に部活の選択を誤ったことを後悔しつつもそれなりに頑張っていたある土曜日のことです。
その日は午前中で授業は終わり部活もないと聞いていたのですが、柔道部のOBがやって来るとのことで急きょ体育館に集合です。何と昼食も食べないままそのOBの指導の下そのまま柔道の練習が始まってしまいました。
それがいつもの練習がお遊びに思えるほどのハードさなのです。近くの神社の200段近い石段をうさぎ跳びで登らせられた時には体力はほとんど限界に達していて、練習が終わったときには意識が朦朧としていました。普通なら家まで歩いて20分かからないのですが学校のグラウンドを横断するのに15分もかかってしまう始末です。
フラフラして歩けないのです。それでも歩かないわけには行きませんから道端の電信柱を見つけるごとに休憩しながら何とか前に進んでいたのですが、少しでも近道をするためにメインの道路から脇道に入った所のブロック塀の前で完全に力尽きます。
その日は午前中で授業は終わり部活もないと聞いていたのですが、柔道部のOBがやって来るとのことで急きょ体育館に集合です。何と昼食も食べないままそのOBの指導の下そのまま柔道の練習が始まってしまいました。
それがいつもの練習がお遊びに思えるほどのハードさなのです。近くの神社の200段近い石段をうさぎ跳びで登らせられた時には体力はほとんど限界に達していて、練習が終わったときには意識が朦朧としていました。普通なら家まで歩いて20分かからないのですが学校のグラウンドを横断するのに15分もかかってしまう始末です。
フラフラして歩けないのです。それでも歩かないわけには行きませんから道端の電信柱を見つけるごとに休憩しながら何とか前に進んでいたのですが、少しでも近道をするためにメインの道路から脇道に入った所のブロック塀の前で完全に力尽きます。
見知らぬ「おばちゃん」の声で目が覚めた時には可なり陽も傾いていて、私はおばちゃんが持ってきたのかリヤカーの荷台に仰向けに寝せられたまま家まで運ばれます。
途中で「陽が眩しかろう」とおばちゃんは気を利かせて私の顔に白いハンカチを被せてくれたものですから、すれ違う人達は私を命の尽きた者と思って結構なリアクションで驚いてくれます。その度にハンカチをめくって愛想笑いしなくてはならないので大変でしたが、特に家に帰り着いた時の早合点した母親の反応が最高で、その取り乱しようは本物でした。
不思議なのは母親の作ってくれたインスタントラーメンでエネルギーを補給しながらリヤカーのおばちゃんの話になるのですが何と母親はおじさんだったと言い張るのです。