不思議な話(二ーマンのピク詰め)復刻版H

      ー実際に体験した不思議な出来事の記録ですー

023 「タクシー」

『思い込み』というのはよくあることなのですが『思い込まれ』という経験は意外と少ないものです。三十四、五歳の頃、日出町にある知人の工房での用事を済ませ、降りだした雨の中を愛車の黒のトヨタ・カルディナでそこを出たのが夜の九時頃でした。

国道一〇号線を別府方面に向かって車を走らせていると道路の左側に大きな壺を表に並べた骨董品の店があるのですが、その店の前で傘を差した中年の女性が私に向かって激しく手を振っているのが見えました。私はテッキリ知り合いの女性だと思い女性の前に車を停めたのですが、その女性に見覚えがないのです。

ところがその女性は勝手に後ろの座席に乗り込んできたのです。当時のカルディナにオートロック機能が付いていたのかはよく覚えていませんが、とにかく勝手に乗り込んできたのです。女性は驚いている私にお構いなくこう言うのです。

「ああ助かった、別府駅までお願いします」

「えっ、別府駅…ですか?」

「そう。別府駅。運転手さん、悪いけど急いでもらえませんか、電車に間に合わないのよ」

私は女性の勢いに押され取りあえず車を出しましたが、私の車をタクシーと思い込んで疑わないその女性の喋ることと言ったらありませんでした。私の喋る間がないのです。

「あの…」

「いやその」

「はあ…」

「えっ、はい?」

その位がやっとでした。別府駅には一五分ほどで着いたのですが、着いた時には女性の生い立ちから来週の予定まで把握していました。



「運転手さん、これ取っといて。お釣りはいいから、気持ちですから」

そう言って手渡されたのは5千円札でした。私が受け取れないと言う間もなく女性は改札口に向かって駆け出したのですが、その女性に向かってかけた自分の言葉に情けなくなりました。

「これは受け取れませんよ、ちょっと、お客さん…」


コオロギのアトリエ