不思議な話(二ーマンのピク詰め)復刻版H

      ー実際に体験した不思議な出来事の記録ですー

026 「背中」

  その釣り場は砂漠のような埋立地を長時間歩かなければたどり着けないため、あまり釣り人は多くないのですが、よく顔を合わせる常連の御老人とは結構親しくなっていました。その日は十一月もそろそろ終りのとても寒い日で、まだ日の高い内に釣り場に着いたのですがいつもの御老人はその日も来ていました。

私は7~8メートルの間を開け老人の左側に釣り場を確保し、釣り竿を組み立て、仕掛けを作りながら御老人と会話を続けていたのですが、どうも老人のシルエットに違和感があるのです。御老人は綿の入ったキルティングのズボンに長靴を履き、耳まで隠れる毛糸の帽子をかぶり、襟に毛の付いた暖かそうな濃いブルーのジャンパーを着ていたのですが、背中に何かが付いているのです。

『何を付けているのだろう』と仕掛けを作りながら目を凝らしてよく見たのですが、確認したその物の意味がわかりませんでした。その物自体はわかるのですが、なぜそれが御老人の背中にあるのかがわからなかったのです。私は近寄って更に良く見たのですが、間違いはありません。私は恐る恐る御老人に言いました。

「あのぉ、背中に包丁が刺さっていますけど…」

老人はあらゆる方向から背中に手を回すのですがそれに手が届きませんでした。

「どうりで痛えと思うた。すまんけど、抜いちくんない(どうりで痛いと思った。申し訳ないのですが抜いてくれませんか)」

私は急に怖くなりました。背中に包丁が刺さっているのもそうですが、それに平然と対応する御老人の態度の方が怖かったのです。私が躊躇していると、

「はよ、抜いちくんない」(はやく、抜いてください)

と大きな声で言われたものですから、慌てて引き抜いたのですが、思ったより簡単に抜けました。



包丁は通称『出刃包丁』と言われるもので刃渡りが二十五センチほどの典型的な出刃包丁でした。その包丁を受け取りながら御老人は言いました。

「あんやたぁ、俺を刺したんやの(あの人は、俺を刺したんだな)」

御老人が言うには、朝から奥さんと喧嘩をしたらしく、何の解決も見ないまま、老人が釣りに出かけようと玄関を出た時に、奥さんに後ろから背中を思い切り殴られたらしいのです。実際には刺されていたのですが、厚いジャンパーと下に着込んだセーターや、その他諸々とで包丁の刃が届かなかった為に老人は殴られたと思ったらしいのです。
実際には少し刺さってはいたようですが、そのままバイクで釣り場までやって来たのです。

「大丈夫ですか?」

「ああ、しょわねえ(ああ、大丈夫です)」

「奥さんに、ちゃんと謝った方が良いですよ」

「わしが、この釣り場に来ん事なったら、あん奴にやられたと思うちくんない。あはははは(私がこの釣り場に来なくなったら、あの人にやられたと思ってください。あはははは)」
 
その日は十二時近くまで一緒に釣りを楽しんだのですが、それ以来その釣り場で御老人の姿を見かけたことがありません。


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