未来はすでに決定されているとばかり思っていたのですが、もしかしたら変更は可能なのかも知れないと思った出来事があります。

十数年前にほぼ単身赴任の状態で七年間福岡で仕事をしていた時期があり、月に二回位のペースで週末に大分に帰っていました。三年目以降は作家のKさんが大分から応援に来てくれていましたので、週末の帰郷と週明けの福岡入りはたいがい二人一緒に行動していました。

福岡に戻るのはたいてい日曜日の夜七時頃で途中Kさんを拾ってから福岡に向かうのですが、その日に限って日田(当時の高速入り口)の手前でKさんが妙なことを言います。

K「どうかしたのかね、元気がないねぇ」

特別思い当たることもなかったのですが、その辺の感覚は神がかり的なところがあるKさんなので私自身も気づかないところの微妙な「負」の波動を感じているに違いないと思い無理やり心当たりを捜してみたのですが、強いて思い当たることと言えば朝方に見た嫌な夢くらいでした。



その夢のことを話すとKさんは間髪入れずに今すぐ近くの喫茶店で休もうと言うのです。今まで一度もそのように積極的な感じで言われたことがなかったので適当な喫茶店を見つけてお茶をするのですが、明け方に見た夢と言うのはこうです。

『日田のインターを入ってしばらく走っていると大型トラックが中央分離帯を飛び越えて横転しています。私はそれを避け切れずにトラックに突っ込み、私は大怪我をし、Kさんは亡くなってしまう。』という夢でした。

結局喫茶店で三十分ほど時間をつぶし日田から高速に乗るのですが、しばらく走ったところで夢に見た場所であろうという所に差し掛かるのですが、何とそこに中央分離帯を乗り越えて大型トラックが横転しているではないですか。すでにパトカーが到着していましたが、まだ事故を起して三十分も経っていないと思われるその事故現場の脇を通り過ぎながら背筋が寒くなりました。

三十分の休憩を取っていなければ私たちはおそらく夢と同じようにトラックに突っ込んでいたかもしれないのです。


コオロギのアトリエ