065 「虹」
ある日のこと、由布院の美術館に用事があり、用件が早くに片付いたのでオーナーのUさんと前から約束していた安心院(あじむ)の作家の工房を訪ねることになりました。ところが由布院を出た頃から雨になり、安心院の手前では風も出てきて嵐のようになりました。10メートル先も見えないくらいの深い霧も出てきます。
「由布院に戻ったらきっと虹が見られますよ」
なんでそんな不確かなことをこのタイミングで言わなければならないのかと自分でも不思議でしたが、そのときはなぜか妙に自信がありました。安心院の工房に着く頃には雨の小降りになり、由布院に戻った頃には雲の切れ目から日差しも射してきました。
そして由布院の町に入った正にそのとき、由布岳の雄姿をバックにしてそれは々見事な虹が由布院の町の上空に現れたのです。
本当に虹を見ることが出来たことに二人で感動していたのですが、それがあまりにも美しい虹でしたので写真を撮ろうと思い、車を止められるスペースを探します。
やっとのことで車の通りの少ない脇道に適当なスペースを見つけ車を止め、急いで車から降りて消えかかる寸前の虹の写真を一枚だけ取ることが出来ました。
写真が撮れたことに満足して車に戻ろうとしたときです。足下に財布のようなものが落ちていたのでそれを拾い上げ、Uさんに「財布、拾いましたよ」と差し出すと、Uさんの顔色が変わりました。
「えっ、何で私の免許証がこんなところにあるの?」
それは財布ではなく、Uさんの免許証入れだったのです。Uさんは免許証を無くしたことに気づいていませんでした。というか、そんなことは考えられないと言います。朝、確認したときには確かにあったと言うのです。しかし現に免許証はそこに落ちていたのです。
いずれにしても、虹が出現しなければその免許証にめぐり合えなかったのは事実です。
コオロギのアトリエ