073 「ニケ」
立体造形のお仕事をしていた頃のお話です。ある県の小さな会社から依頼されたのは、勝利の女神「ニケ」の像でした。本来大きな翼を広げたニケの像には頭部は無く、それが逆に何とも不思議な魅力になっている美しい像なのですが、会社の意向で頭部のあるニケの注文を受けました。しかも何故かシンクロナイズドスイミングで当時活躍していたKさんの顔にしてほしいということでした。クライアントの注文は絶対ですから全長3メートルのKさんの顔をしたニケが完成するのですが、それが意外と良いのです。
取り付け後に修正があるかもしれないということで私も納品に同行しました。取り付けは3階建ての小さなビルの屋上ということで、クレーンで吊り上げることになったのですがニケにはロープをかける場所がなかったのです。
羽の部分は極力薄く造っているので全体を支えることは出来ません。ニケの内部には強風に耐えられるように鉄骨が入っており、重量的にはゆうに200キログラム超えていたと思います。どう考えても吊れる場所は一箇所しかありませんでした。
取り付けに際して会社の役員を初め、会長と呼ばれる車椅子の御老人を中心に社員の皆様が玄関に整列している中、営業のKさんが重い口を開きます。
「…申し訳ありませんが、首にロープをかけるようになるのですが…か、かまいませんでしょうか…」
重役連中はそんな縁起でもないことは絶対に許可できない、他の方法を探せと言いましたが会長と呼ばれる車椅子の御老人は違いました。
「かまわんだろう、そんな下らない事にこだわる事はない。業者さんにお任せしなさい」
と言ってくれたのです。その懐の深さに感謝しつつ、みんなが見守る中、首にロープをかけられたニケがクレーンに吊り上げられユックリ上昇していきます。
ところが事もあろうに地上1、5メートル程上昇した所で「ボコッ」という何とも情けない音とともにニケの首が取れたのです。首は反動で信じられない高さまで飛んでいくのですが、同時に車椅子の御老人も「ガァハッ」という悲鳴と共に自らの足で立ち上がりました。しかも2~3歩前に歩いたのです。
ドラマやアニメの世界なら『クララが立った…』みたいに話はハッピーな方向に展開していくのでしょうが現実はそうは行きません。首が地上に落ちてきたと同時に会長は力なく車椅子に倒れこみ、そのままどこかえ連れて行かれたまま二度とお姿を拝見することはありませんでした。
1、5メートルの高さから落下した本体は取り返しのつかないくらいにひびが入り、翼は根元から無残にも折れてしまいます。社員の女性などは声を出して泣き出す始末です。重役たちの剣幕たるや、それは々筆舌に尽くしがたいものでした。人身事故にならなかったのがせめてもの救いでした。
その後のことは恐ろしくてよく覚えていませんが、結局新しく作り変えられたニケの背中には1トンの重さにも耐えられる強力なフックが2つも付けられたのでした。
コオロギのアトリエ