105 「修正」
私は世の中の事柄をかなりの割合で間違って覚えているようなのですが、それに気づくまでは間違っているという意識はありませんからどのくらいの量の間違いがあるのかはわかりません。
ついこの間も嫁さんと車で買い物に行く途中「ことわざ」の話になり、何気なく「濡れ手で泡」を英語でなんと言うのかと嫁さんに尋ねたところ「アワ」は英語でなんと言うのかと逆に聞かれたので「バブル」だと答えると「濡れ手でアワ」のアワは「粟」だと言うではありませんか。正確には「濡れ手に粟」だと言うのです。
私はたいがいそういうものは映像として記憶していますから、洗濯機の中の洗剤の泡を手ですくい取っている映像がガラガラと音を立てて崩れ去り、新たに濡れた手に粟がビッシリくっついている映像に切り替わります。
数10年間信じてきた「泡」を「粟」だと修正するのは勇気がいりますが、大体の場合15秒位で納得はいくのです。子供の頃から泡を手ですくうのになぜ手が濡れていなければならないのかという疑問を持ちながらその言葉を使っているので、粟ならその数十年来の疑問が解消できるからです。
たまたま気づいた場合はそうやって修正できますが、後どのくらいの間違いがあるのかと考えるとゾッとします。
コオロギのアトリエ